目から鱗!!
唐突だけど『THE BOOM』の歌で大ヒットした『島唄』を知らない人はあまりいないよねぇ!!
当然僕も知ってるし、おそらくは何百回と聞いたはず。
だけど、その歌詞についてはあまり深く考えたことはなかった。
どちらかというと、三線の音色と曲調から伝わってくる沖縄のムードや、宮沢氏の伸びやかな歌声など、音としての『島唄』を味わっていたように思う。
ところが先日、以前からお世話になっている、四国大学の田村典子助教授から1通のメールをいただき、それをきっかけに、僕の『島唄』に対する認識と思いは一変した。
田村先生は大学勤務の傍ら『ときめきダンスカンパニー四国(TDCS)』を主催されるなど、ダンス等を通じて、幅広い活動をされている。
*田村先生のサイトはこちらです
環境問題や平和の問題に関しても熱い思いを持っておられる先生は「私流の解釈」と断った上で『島唄』を踊るときの思いを書いてくださった。
本来このページは、僕のたわいもないおしゃべりのページなんだけど、なんと、あろう事か、今日は先生が僕にくださったメールをそのまま貼り付けさせていただくことにした。
なお田村先生は「あくまでも私が歌を聞いての勝手な解釈で、実際のところは分かりませんよ。」と念押しされた上で、転載を許可してくださった。
田村先生からのメール
Subject: 島唄
Date: Thu, 27 Jun 2002 16:38:02 +0900
From: Tamura Noriko
To: 堀内佳さま
『島唄』の歌詞、メロディーから、私が感じ取ったモノを書いてみます。
『でいご』は、豆科の落葉高木で、花は、紫赤色の蝶形の花が穂状に集まって咲く。
沖縄の県花だが毎年咲くわけでなく、でいごの花が咲く年には台風が多く来ると言われるらしい。
「台風が来るときに咲く花」というのは、何か普通ではない。
美しい花というよりも「悲惨な戦争」をメッセージしているのだと思った。
沖縄の県花に指定されるだけのことはある。
「でいごが咲き乱れ」という箇所の詩は、戦争のメッセージを強めている。
また、『ウージ』というのは、サトウキビのことだ。
サトウキビ畑の下には、戦争で亡くなった人のたくさんの命が眠っている。
戦争の悲惨さは、何時までも沖縄の人々にとって消えることのない悲しみなのである。
戦争で失った愛しい人のことが、いつまでも消えることなく悲しみとして残っているのだ
また嵐の激しさは、戦争への批判でもあるのではないかと思った。
沖縄の悲しみを強めている。
ウージというサトウキビの畑は悲惨な沖縄を象徴している。
沖縄の人々が育んだ多くの愛が無惨にも消えていく・・・・。
犠牲になった人々の悲しみは計り知れない。
愛する人と出会い戯れ、悲しくも戦死の知らせが届き「千代(永遠)に」別れなければならなくなってしまった。
2コーラス目の「でいごの花も散り」というのは終戦を意味しているが愛する人や多くの沖縄の人々はもう戻らないのである。
ウージ(サトウキビで象徴される沖縄)で将来の夢を語っていた多くの仲間や友人、戦争に関わらなければならなかった「八千代(多くの年代)」の人たちが、尊い命を奪われたのだ。
島唄は沖縄から平和な世界への祈りを愛をメッセージしているのだ。
神が創造した人間も含む自然界のものたちに、多くの犠牲となった魂たちが、原点に返れと呼びかけているのかもしれない。
私利私欲のために行動するあさはかな世界の人々に『無』になることを呼びかけているのかもしれない、、、、。
以上、私はこのような気持で踊ろうと思っています。
手話をダンス化して『島唄』を語ります。
田村典子
本来ならここで『島唄』の歌詞を掲載したいところだけど、著作権の問題等が有るので、あえて差し控えます。
是非改めて『島唄』を聞いてみてね。
田村先生、素敵な宝物をありがとうございましたm(__)m
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