徳弘のお爺ちゃん ☆
5月28日の『思い』
にも書いた『堀内佳のなんでもレポート』のコーナーは、ネタ探しから全てを任せてもらってて、本当にやりがいがある反面、ラジオカーや同行してくれるスタッフのローテーションの関係上、地域がある程度限られることもあって毎回ネタ探しには四苦八苦しているのも事実!!
そして一昨日の火曜日、言い訳をすれば週末から続いたコンサートやレコーディングもあって(実はずぼらともいう?)、例によって、ネタが決まらないまま放送当日の朝を迎えた(早くもこれが信じられないけどね!)
実は前日、徳島から帰りの車中、ディレクターのテッシーから「2時台に須崎市(高知市から西へ高速で30分)からのお知らせがあるので、できれば高知須崎間のどこかにしてほしい」という電話が入っていた。
高知市と須崎市の間には、盲学校卒業以来15年間暮らした土佐市があるし「まぁなんとかなるやろう(これも信じられん!明くる日やで!)」と高をくくって、その夜のレコーディングへと頭を切り換えたのだ(ストレスを貯めないための常套手段だよ!)
未明までかかったレコーディングにもかかわらず、例によって7時過ぎには「腹へった〜!」って感じで目覚めた(俺は悟空か!)!!
とりあえずわかめを戻して青じそドレッシングをかけ、徳島県脇町で買ってきた『鬼おろし』という竹製のおろし器で大根おろしを作り、冷凍してあったご飯を解凍しての朝食(う〜ん!美味い!!)
ちょっとわびしいこんな朝飯を食べながら、思考は巡っていった。
うっ! この大根はなかなか辛いぞ!!
腹を立てて大根おろしを作ったら辛くなるって言ったのは確か親父だったよなぁ!!
親父といえば、彼岸だというのに足がだるいなどと言って爺ちゃんや婆ちゃんの墓参りにも行かなかったんじゃないか??
ん? 彼岸? 爺ちゃん? お墓参り??!!
決まった〜! 今日の放送は徳弘のお爺ちゃんのお墓参りに行こう\(^^)/
もちろんアポなんて取ってないけど、まぁなんとかなるやろう(やっぱり信じられん!)
徳弘のお爺ちゃんは、僕が勤めていた土佐市の整形外科医院の患者さんだった。
脳血管疾患の後遺症による言語障害もあってか、比較的無口だった明治39年生まれのこのお爺ちゃんは、治療のため僕と二人っきりになると、僕にはいろんな話を聞かせてくれた。
大好きな菊の花作りのこと・大河ドラマ(宮本武蔵)の話・大相撲のこと……
ゆっくりとしたその語り口調や、1歩1歩確かめるように踏み出すお爺ちゃんの足音を聴いていると、なんだか自分を取り巻く時間の慌ただしさが恨めしく思えるほど、お爺ちゃんの周りを流れる時間のゆっくり感が愛おしく思えた。
そんな僕にお爺ちゃんは毎日声をかけてくれたし、僕も心からの笑顔を返した。
そして僕は、ある意味人生の転機になったともいえるこの出会いを『徳弘のお爺ちゃん』という歌にした。
お爺ちゃんと僕の魂は、とっても温かく触れ合った。
その知らせは突然だった。
「堀内先生、親父が大変お世話になりました。 親父は今月の6日に、家族の見守る中で静かに永眠いたしました。 最期まで先生にお会いしたいと申しておりました。 通夜と告別式で先生が作ってくださった歌をかけて見送りさせていただきました。 人生の最後に素晴らしい出会いをくださって本当にありがとうございました。」
やはり涙が出た。
次から次へ、次から次へと、いっぱいいっぱいこぼれた。
そしてあれから10年、僕はこの歌を大切に歌い続けてきた。
午後12時30分、女性レポーターの運転するラジオカーが予定通り迎えに来てくれた。
車に乗り込んでから、徳弘のお爺ちゃんと遠い親戚になるという知り合いのタクシードライバーに電話して、お爺ちゃんのお宅の詳しい場所を聞いた。
最初に訪ねたお宅は違ってたけど、ありがたいことに僕のことは知ってくれていて、すぐ裏のお爺ちゃんのお宅まで案内してくださった。
丁寧に出迎えてくれたのは、お爺ちゃんの息子さんのお嫁さんだった。
僕は小さな声で恐る恐る訊いた。
「お婆ちゃんはお元気ですか??」
すると意外なほど大きな声が帰ってきた。
「はいはい、げんきですよ!! ちょっと耳が不自由やけどねぇ!! お婆ちゃ〜ん! 堀内佳先生が来てくれたよ〜!!」
「どうした? 誰が来たっ??」
「川田整形におった堀内先生よね!!」
無言だが明らかに慌てて歩いてくるお婆ちゃんの足音!!
「お婆ちゃん、お久しぶり!! 元気やった??」
「まぁ先生! よう来てくれました!!」
お婆ちゃんの声が少し潤んでいた。
「今日はラジオの生放送でお爺ちゃんの墓前であの歌を歌わせてもらおうと思うてね!!」
「そりゃぁお爺ちゃんもなんぼか喜びます! 私も是非ご一緒させてください。」
っというわけで、お婆ちゃんもラジオカーに乗ってもらって、お墓まで案内してもらうことになった。
土佐市高岡の北の外れに四国霊場第35番札所の(清瀧寺)が有る。
徳弘のお爺ちゃんは、このお寺の山の麓に、静かに眠っている。
痛い膝を折り曲げ、墓前に線香を供えながら、小さいが心のこもった声で「お爺ちゃん、堀内先生がわざわざ来てくれましたよ。 ここからラジオの放送をして、お歌も歌ってくださるそうです。 どうぞお聴きください。」と深々と頭を下げる91歳のお婆ちゃん!!
持ってきた物をお供えして、そっと墓石に触れてみた。
なんだか懐かしさや親しみさえ感じる!!
「けんどほんまに不思議なことです!!」
感慨深げにお婆ちゃんが言う。
「どういうわけか今朝先生の話が出ましてねぇ!!」
「えぇ? 僕の話ですか?!!」
「はい! お元気じゃろうか〜!言うてね!!」
「お爺ちゃんが引き寄せてくれたんやねぇ!!」
この日初めて涙がこみ上げてきた。
本番が始まった。
耳の不自由なお婆ちゃんは、僕のインタビューに一生懸命答えてくれた。
お爺ちゃんが病気になって23年間お世話をしたこと、家でも無口だったお爺ちゃんが、僕の話をいっぱいしていたこと、花が大好きだったお爺ちゃんのために、毎月の命日には必ず花を持ってここを訪れてること……!!
話の全てが優しくて温かくて……!!
このご夫婦と人生の接点があったことを、今更ながら心から感謝した。
そして初めて僕はお爺ちゃんの墓前で『徳弘のお爺ちゃん』を歌った。
「だいじにしてね徳弘のお爺ちゃん 花が大好きな 優しいあなたの生命」
音程も歌詞もめちゃくちゃになりながらの僕の歌、それを頷きながら一心に聴いてくれている耳の不自由なお婆ちゃん!!
歌が終わってお婆ちゃんの様子を伝えてもらおうと、同行してくれたレポーターにマイクを向ける。
「佳さんの歌に何回も頷きながら・・・・・」
結婚を間近に控えて幸せいっぱいのはずの彼女の綺麗な声は、そこまでしゃべったところで震えて途切れたけど、ラジオの前の皆さんにはきっと全てが伝わったと僕は確信した。
誕生・生きること・そして死、自然な流れで訪れる限り、それらは全て尊いものに思えた。
徳弘のお爺ちゃんは、星になった後も僕達に素晴らしいプレゼントをくださった。
これからも僕が生き続ける限り、お爺ちゃんも僕の心の中で生き続けるだろう。
徳弘のお爺ちゃん、そして家族の皆さん、僕の人生に大きな宝物をくださって本当にありがとうございました。
『思い』の目次に戻ります
ご案内ページに戻ります
|