☆ 堀内佳のロケ日誌 ☆



5月の高知は暑い。

早朝のすがすがしい空気を楽しめるのはほんの一瞬で、太陽が顔を出すと、気温は一気に25℃を超える。

無防備に外出でもしようものならすぐに、高知で言う「焦げる」という状態になる!!

そんな日差しの中、一昨日ラジオのレギュラー番組の取材で、高知県東部の数カ所を回る野外ロケを敢行した。

朝8時、高知放送ラジオ編成制作部のテッシーと、我が番組の名ディレクターテルが、ラジオカーでマンションまで迎えに来てくれた。

機材も積んで狭いラジオカーの空間に、男3人を詰め込んだロケバスならぬロケ乗用車は、通勤通学ラッシュがやっと収束し始めた市内に向けて出発した。

最初のロケ地はJR土讃線(どさんせん)の円行寺口(えんぎょうじぐち)駅。

5歳で親元を離れて盲学校に入学した僕にとって、汽車は僕と両親を繋ぐ特別なものだった。

お袋が僕を初めて高知に連れてきたのも汽車、そして幼い僕を残して1人で帰っていったのも汽車、運動会などの特別な日に会いに来てくれたのも汽車なら、また帰っていったのも・・・・・。

お袋が会いに来てくれる時や、僕がふる里へ帰る時の汽車の音は、いつも軽やかで明るく、夏休みなどが終わって僕を寮に送り届け、お袋が帰る時の汽車は、寂しい余韻をいつまでも心に残して走り去っていった。

少しでもふる里に両親に繋がっていたかった僕は、ことあるごとに先生や先輩にねだって、寮から歩いて10分くらいのこの駅に、ただ汽車の音を聴きに連れてきてもらった。

プラットホームしかなく、急行列車は止まらないこの無人駅で、一定のリズムを刻みながら目の前を駆け抜けていく汽車の音は、まるで「帰るぞ・帰るぞ・帰るぞ・・・・・」って、いつも僕をせき立てるようだった。

8時半を過ぎた駅のホームには、乗降客の姿は無かった。

単線の北側にあったプラットホームは、鉄道高架事業に伴う工事のため無くなっていて、線路の南側に、鉄骨と木で作られた仮設のホームがあった。

ちょっと嬉しかったのは、その仮設ホームに点字ブロックが敷設されてたこと!!

みんなに優しい町作りが少〜しずつでも根付いてきたのを実感した。

工事用の重機の音、昔よりはるかに多くなった通行車両の音、そして足下の仮設ホーム・・・・・!!

僕が感じることのできる音の風景の中に、昔を思い出させる色を見つけることは、とても難しいように思えた。

なんとなくそんなことをぼーっと考えていた時、駅の側にある踏切の警報機が鳴り出した。

一瞬周りが無音になったように感じた。

踏切の音だけが響くそんな無音の中を、ディーゼルエンジンの音を響かせて汽車が入ってきた。

ふと意識が遠くなるような感覚を挟んで、まるで懐かしい夢でも見てるように、周りに昔の音や匂いの風景が広がった。

もう何十年もの間、数え切れないほど繰り返されてきたこの音の風景の中に、確実に自分のドラマも含まれてるんだな〜!!なんて、妙な感慨に浸ってるうちに、ホームに下りた車掌が発射の合図の笛を吹き、僕の回想を載せた汽車は、大きなエンジン音を響かせながら、ゆっくりと出て行った。

しばらくのあいだ、みんななんとなく無言だった。

そして何本かの汽車の発着音や周りの音の風景、僕のしゃべりなどを収録して駅を後にした。

そもそも今回のロケのコンセプトは、いろんな音の風景の中で歌を歌ってみようというもの!!

土讃線→ごめんなはり線沿線にある様々な音を背景に、堀内佳のギターや歌がどんなふうに聴こえるか!!

ごめんなはり線の野市駅で下車し、次のロケ予定地の物部(ものべ)川に着いたのは、10時半くらいだったか。

最近降った雨のためやや増水した水音は、穏やかな初夏を演出するにはちょっとばかし荒っぽかったけど、河原で歌った『ステップアップ物部川』は自分でも鳥肌が立つほど周りの音と調和した。

しかも歌い終わってギターの余韻が残っているまさにその時、上空を遠ざかっていく飛行機の音が、まるで作られた効果音のように緩やかなドップラー効果と共に静かにフェードアウトしていく!!

以前にも経験したことなんだけど、自然が奏でる音であれば、少しぐらい大きな音でも全く邪魔にならないどころか、多くの場合素晴らしい伴奏者にさえなってくれる!!

アユの友釣りをするおじさんにお話を伺ってから、再び野市駅へ。

太平洋沿岸を走るごめんなはり線ご自慢の、オープンデッキ付き列車に初めて乗車した。

赤岡駅を過ぎて海岸線を走り始めた列車のオープンデッキに出てみると、想像していたよりはるかに強く潮風を感じた。

なんとここでもギターを取り出して『自分 生活 美しい』を熱唱してみるも、さすがにエンジン音と風に翻弄されてしまった!!

そうこうしてる間に、列車は次の目的地である夜須駅に到着した。

夜須町はなかなか元気な町で、ヤシーパークという海浜公園のような場所を整備して、シーズンには沢山のレジャー客が訪れる。

手作りの弁当屋さんで昼食を調達がてら、店の人にインタビューをさせてもらってから浜に出てみると、何校かの遠足が重なってたらしく、沢山の子供達の声が跳ね回ってた。

男3人で手作りおむすびと卵焼きの昼食を済ませて、波打ち際で『輝け虹色丸』を歌った。

穏やかに寄せる波音と、きらきらした子供達の声を背景に、なんだかはまりすぎるほどはまってしまった『虹色丸』だった!!

2時過ぎにヤシーパークをあとにした男3人(しつこい)のロケハンは、一路安芸市に向かった。

安芸市といえば、言わずとしれた我が阪神タイガースのキャンプ地!!

予定にはなかったけど、球場前駅で下車して安芸球場へ!!

グラウンドで汗を流したであろう我がタイガースの選手達に思いをはせながら、誰も居ない1塁側スタンドで、めいっぱい心を込めて『六甲颪』を爆称した(爆笑!)。

そして日が西に傾き始めた4時頃、最終目的地の安芸市伊尾木(いおき)駅に到着した。

ここには『寅さん地蔵』というお地蔵さんがある。

『男はつらいよ』の高知ロケを招致するために奔走した川島さんという地元の方が願いを込めて彫ったもの。

しかし渥美清さんの死去で、この49作目は幻となった。

「けんど今でも全国から寅さんファンが、わざわざ参拝に来ることもあるがですよ!」っと教えてくれたのは当の川島さん。

そういえばお賽銭(お地蔵さんはお布施かな?)やお供え物も沢山有る。

僕達も静かに手を合わせた後、地元にある川島さんご自慢の鍾乳洞『伊尾木洞』に案内してもらった。

そこは国道からほど近く、全長数10メートルほどの小さな洞窟だった。

天井からは絶えず水滴が落ち、洞内を清流が流れている。

思いのほか広い空間を持つ洞穴を抜けると、全く驚くべき異空間に出た。

びっしりとコケやシダに覆われた崖で囲まれたその場所は、奥の谷から吹き降りてくる風と洞窟内の空気が絶妙に混ざり合って、なんだか決して犯してはいけない神聖な空間のようにさえ思えた。

なんでも7種類のシダが共生してるらしく、淘汰し合うことの多いシダ類が7種類も共存する珍しさから、天然記念物にも指定されているとのこと。

洞窟の反響・絶え間なく落ちる水滴・流れる清流・風の音・・・・・

今回のロケの中で最も「歌いたい」という沸き上がるような情動に突き動かされて『夢きらきら』と即興曲を歌った。

そしてまた出会いのプレゼントが!!

歌い終わって間もなく、洞窟を1人の男性が歩いてきた。

兵庫県から来たというその男性は、四国88ヶ所を自転車で巡礼してるお遍路さんで、共生するシダのことを聞いてここに来たという!!

全国的にはそれほどメジャーでもないこの場所で、こうして出会ったのは何かの縁としか思えない。

彼と川島さん、そして僕達を含めた5人は、しばらくその場で心と言葉のキャッチボールを楽しんだ。

さて、この日の出来事を、まるで日記のようにつらつらと書いてきたけど、何かを結論付ける適当な言葉が見つからない。

ただ僕の人生の中で、確実に記憶に残る1日になったのは確かなようです!!

なお、徳島四国放送の以下のサイトで、寅さん地蔵や伊尾木洞のことを紹介されてるので覗いてみてね。

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