☆ 石川記念病院の長〜い1日 ☆



5月24日土曜日、高知県吾川郡伊野町にある『石川記念病院』で、院内コンサートをさせていただいた。

この病院は、この地に新築移転して今年で2周年。

主要診療科目は、神経内科・精神科。

地域住民に、精神神経医療について理解を深めてもらう目的と、もちろん入院患者に対する医療行為の1つとして、これまでにもいろんな演奏会を院内で開催してきたとのこと。

僕の歌が果たして『音楽療法』の一翼を担えるかどうかは大いに疑問ではあるけど、白羽の矢を立ててくださった副理事長の公文(くもん)さんの顔を潰すわけにはいかない。

梅雨の走りを思わせるような曇り空の元、正午くらいに病院の駐車場に到着した。

伊野町波川(はかわ)の山の上にあるこの病院は、一見するとホテルか何かのように見えるらしい。

車を下りると新緑の中を吹き抜けてきた風が、緑の匂いを優しく運んでくれた。

ウグイスを始め沢山の鳥達が明るく鳴き交わし、陰鬱な気は全く感じない。

音の風景はどこまでも明るく開けていた。

この日の院内コンサートは2ステージ。

1ステージ目は1階ロビーで、地域の人や職員、そしてロビーに来ることのできる患者さんが対象で、2ステージ目は3階の病棟内にある部屋で、ロビーに下りてこられない入院患者さんが対象。

外から鍵を開けてのみ行き来できるスペースに入るのが初めてだった僕は、2ステージ目に関しては正直少し不安だった。

一応医学の隅の隅を嘗めているということで、病理学的に病名と症状を結びつけることくらいはできる。

そしてこの種の病気を患った患者さんの感受性は鋭敏で、反応はどこまでもピュアだ。

つまりこの時の不安は、或意味小さな子供達を恐れていた、昔の僕の感情に似ている。

しかし今の僕は、子供達が怖いどころか愛おしくてたまらない。

心の触れ合いが暖かくて嬉しくて、それだけで涙が出ることさえある。

1人1人の心の中に深い悲しみや痛みがあることを理解して、少しの時間でもそれらを忘れてもらえるように気持ちを込めて歌った。

本番中の患者さん達の反応はどこまでも熱くピュアで、みんなの笑いに返事に歌声に僕のモチベーションは最高に高まった。

「もう命を粗末にしません」
「幸せになるよ」

本番終了後の握手の手はみんな温かく、僕はまた1つ宝物を貰った。

ところで、病院に着いてから1ステージ目が始まるまでに、僕には信じられないような出来事がいくつか重なった。

院内に入り、会場となるロビーで簡単に音合わせを済ませ、デイサービス用の部屋で昼食をいただいた後、いつものようにコンサートの打ち合わせをした。

正直この時点で、まだどちらも構想はまとまっていなかった。

どんなパターンにしようかなどと考えながら、髭じいと公文さんとのやり取りをなんとなく聴いていた。

そんな時間の流れの中で、この部屋に入ってから、ことあるごとに声をかけてくださる男性がいた。

以前勤めていた病院のこと、そして僕が大の珈琲好きであることなど、なぜか僕のことをいろいろ知ってくださってる人生の大先輩であろうこの人は、デイサービスの責任者の田中さんだった。

東京出身の田中さんは、元ラテンの歌手だった奥様の里である高知に来られて20数年。

彼もまた相当な珈琲通で、いろんな珈琲豆の固有の味について語り合っていたそのとき、このサイトでも紹介している自家焙煎珈琲工房『JunCoffee』のマスター中島準(なかじま じゅん)さんが、突然部屋に入ってこられて、僕は思わず驚嘆の声を上げた!!

車で1時間くらいかかるこの病院まで、なんとわざわざコンサートを観に来てくださったという!!

すごく嬉しかった。

偶然といえばそれまでなんだけど、あまりのタイミングの良さに妙に興奮した。

そして興奮はそれだけで終わらなかった。

以前勤めていた病院で同僚だった看護師の女性が、なんとこの病院に勤務してるとのことで、「前は白衣がはち切れそうだったのに少し痩せましたか??」なんて声をかけてくれて(^^ゞ

もうこの辺りで僕の思考回路はパニック状態!!

驚き・感動・懐かしさ・照れくささ・・・・・

かなりの勢いで沸き上がってくるいろんな感情で、脳の伝達系がパンクしそう!!

それでもなんとか回路を整理して、強引にコンサートモードに切り替えようとしたその瞬間だった。

「佳君   お久しぶり   解る??」・・・・・

まず自分の耳を疑い、次に自分の思考の流れる方向を止めようとした。

まっまさか! そんなばかな!!

でも思考回路をどう制御しようとしても、耳から入ってきた情報の鍵は、ある1つの記憶をしまってある引き出しの鍵穴に、ぴたりとはまってしまった。


盲学校高等部に在籍してた頃の僕は、たまたま同じ寮の同じ部屋に集まった3人の仲間と共に、『エメラルド』というバンドを組んでいて、その頃盛んだったアマチュアバンドのコンサートにも、年に数回は参加していた。

できるだけ難しい演奏テクを避け、唯一自信のあったボーカルやコーラスを生かそうとした工夫の賜か、フォークバンド『エメラルド』は、あちこちでそれなりの評価を受けた。

一般の高校生や大学生の中にも、いわゆる「ファン」と言ってくれる人達も沢山いて、「ファンレター」なるものも相当数いただいた。

高校3年になった頃には、他校のバンドが『エメラルド』のコピーをしてくれるまでになった。

そんな繋がりの中で知り合ったのが某O高校の女の子2人のユニット『END(仮名)』だった。

学校が近かったこともあって、彼女達は毎日のように放課後僕達の寮に寄り道して、みんなで楽しくギターを弾き歌った。

そしていつの頃からか、僕はその『END』のSちゃんと付き合うようになった。

僕に対してもギターに対しても、そして友達に対しても痛いほど真っ直ぐな彼女を、僕は心から愛おしいと思った。

ただ、あの頃の若くて真っ直ぐな彼女を愛し続けるには、当時の僕はあまりにも幼すぎた。

そして僕は後に『悲恋岬』や『やじろべえ』のモデルになる4歳年上の女性と付き合うようになり、Sちゃんとの幼く短い恋は終わった。

その後『END』はめきめきと腕を上げ、高知のアマチュアバンドシーンに名を残すバンドに成長した。

そしてSちゃんは、バンド解散後に上京し、誰もが知っている有名劇団の団員として何度も里帰り講演をしたが、僕は1度も観たことがない。


自分でも驚くほど動揺しながらも、なんとか自分を取り戻そうとする僕に、Sちゃんは屈託のない笑顔で話しかける。

「子供がほしくて劇団を引退して、去年待望の赤ちゃんが生まれたのよ!!」

「あっああそう! おめでとう! それで今日は??」

「久しぶりに里帰りしてスーパーに買い物に行った時にポスターを見かけてね!!」

その後もいろいろ話したと思うけど、ほとんどそれくらいしか覚えていない。

驚き・感動・懐かしさ・照れくささ・・・・・

ものすごい勢いで押し寄せてくるいろんな感情で、脳の伝達系が完全にパンクした。

いったい何が人生の出会いや別れを演出するんだろう。

もしもそれが神ならば、そのタイミングの妙に、その見事な技に額ずくしかない。

でもどうやらこれは、自分達の魂同士が紡ぐ『人生』という名の見事な織物だと僕は思う。

だからこそ、意識しうる全ての出会いを大切にしたいと改めて思う。

ちなみに今頃Sちゃんは、久々にギターを抱えてあの綺麗な声で歌ってるかもね↓

♪「泡で固めよ〜」♪


*注(こんな野暮な説明はしたくないけど、質問メールの多さに耐えかねて)

「泡で固めよう」はゴキブリ退治グッズのCMソングの1部。
喫茶店で初恋の人と待ち合わせた女性の心を歌にしている。
「久しぶりに会える会える初恋の人♪♪」↓
太って髪の毛の薄くなった男性が現れ「やー! 久しぶり! あっはっは〜!!」↓
「代わり〜果てたあなたを〜、泡で固めよう♪ 見たくな〜いゴキブリ〜も泡で固めよう♪♪」↓
せりふで「ついでに旦那も」↓
歌で「泡で固めよ〜う♪♪」
(シュールな歌い方がたまりません)


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