今は遠い夏休みの思い出



遅れていた梅雨明けも過ぎ、今年もいよいよ夏休み本番の8月を迎えた。

5歳から親元を離れ、寮生活をしてた僕にとって、夏休みは特別だった。


1学期の終業式が終わって寮に帰り、帰郷するための荷物をまとめてると、もうすでに親が迎えに来た友達が、いつもと全く違うハイテンションではしゃぎまわる。

そしてほぼ家が近い順番で、保育士の先生に挨拶して帰っていく。

寮全体がだんだん静かになった頃、ちょっと離れた玄関から「あら〜! 佳君のお母さんこんにちは〜!!」 「いつもお世話になっております〜!」……という会話が聞こえてくる!!

いちばん嬉しい瞬間!!

そしてまだ残ってる友達と軽く挨拶を交わして寮を出る。

高知駅までタクシーで10分。

あわただしく改札を抜け下り列車に乗車。

背もたれがほぼ垂直な硬いシートに、2人ずつ4人が向かい合って座る。

前に座ってる人のことなんてお構いなしで、学校や寮での武勇伝を相当誇張して母に向かってまくし立てる小学生!!

そのうち前のおじさんやおばさんが、蜜柑の皮をむきながら「ぼく目が見えんのにえらいねー!」などと声をかけ、半分に割った蜜柑をくれる。

しばらくして、けっこう混み合った車内を、「お弁当にお茶、土佐日記に野根饅頭はいかがですか〜」などとふれながら車内販売が通りかかると、決まってお袋は「オロナミンCを4本ください」と言って買い求め、乗り合わせた人達に進呈する。

そしてまだまだ語りたりない僕を尻目に、大人3人で盛り上がり、退屈になった僕はお袋の側に居る安心感の中で眠りに落ちていく。


「…もうすぐ佐賀に着くで! 速う起きたや(起きなさい)」♪♪

6両編成のうち4両しかホームにかからないこの小さな佐賀駅が当時の終着駅。

3時間近く閉じ込められていた箱からホームに下りると、思いっきり夏休みの匂いがした。

「お父ちゃんが迎えにきてくれちょうけん呼んでみた(呼んでごらん)!」

「お父ちゃんただいま♪」

「うん」

相変わらず無口で怖い親父だった(苦笑)


40日の夏休みは、いつもあっという間に過ぎていった。

毎年8月も25日を過ぎると、僕はだんだんブルーになり、よく熱を出したりお腹を壊したりした。

家から親父の車で佐賀駅へ向かう道は、ふる里の匂いがどんどん薄れていく辛く寂しい道だった。


「お父ちゃん行ってきます」

「うん」

相変わらずぶっきらぼうな親父だったけど、その声は少し寂しそうだった。


お袋と2人で乗車した上り列車は、ふる里行きのそれとは全く雰囲気が違ってた。

2人ともなんとなく無口だったし、お袋はオロナミンCを買わなかった。

お袋が造って持ってきた、ちらし寿司の折りも、僕はほとんど食べられなかった。

いや食べられなかったというよりは食べなかったというべきか!!

寮に戻ってから少しでも長くお袋を感じていたくて、手作りのちらし寿司は寮で食べたかった。

しかしこれがまた、寮に帰ったら帰ったで、とにかく寂しくて涙が出て、とてもじゃないけど食べられなかったのだが!!


上り列車の3時間はやたら速い。

いつもあっというまに高知駅に着く。

寮に向かうタクシーの中で、お袋は僕の手を握りしめたまま、「友達を大切にしたよ(するんだよ)! 先生のいうことを聞かんといかんで!」と、決まってそんな話ばかりした。

もうすぐ寂しい時間がやってくることを実感させるようで辛かった。


寮に着くと、僕はすぐにお袋の側を離れて友達の中に入って遊んだ。

お袋の涙も見たくなかったし、お袋に涙を見られたくもなかったから、いつも努めて現金な子供を演じた。


「佳君、お母さんがお帰りになるよ!!」……

絶対に聞きたくない先生の声!!

1回目は聞こえないふりをして騒ぎ続けるけど、もちろんなんの抵抗にもならず時間は無情に流れていく。

あえて面倒くさげに玄関に行き「バイバ〜イ!」と、これまたいかにも面倒くさげな声で言う。

先生もお袋もあきれ顔で笑う。

そしてその笑い声を残して、お袋は帰っていく・・・・・


そのあとは、もう友達とは遊べない。

急いでトイレに入って大声で泣いた。

「お母ちゃん! お母ちゃ〜ん!!」って、何度も何度も必死に呼びながら泣いた。


いつもお袋が帰りに乗る列車は、高知駅発15時15分で、寮から歩いて10分ほどのところにある円行寺口(えんぎょうじぐち)駅というホームだけしかない無人駅を、15時20分前後に通過する。

僕は高校生のトシミチ君にこの駅に連れて行ってもらい、お袋が乗った汽車を見送るのが常だった。

駅の側にある踏切の警報機が鳴り始め、車も人もその動きを止めると、一瞬周りの風も時間も、動くもの全てが止まった。

そしてその無音の中を、レールの継ぎ目を叩きながら、警笛を1つ鳴らして、力強いディーゼルエンジンの音が近付いてくる。


ふぁ〜ん・・・・・  ご〜〜・かたん・かたん・かたん・かたんことん・かたんことん・かたんことん・・・・・・・・・・


僕はエンジン音に負けないように「お母ちゃ〜ん!!」って1回だけ叫んで座り込んだ。

トシミチ君は「もうえいかや? 帰るぞ!」って優しくおんぶしてくれた。


消灯時間を過ぎると寮は意外と静かだ。

扇風機も無い寮だから、まだまだ寝苦しい8月31日の夜は、窓を開けて寝ることが多かった。

遠くから風に乗って聞こえてくる円行寺口の踏切の音は、昼間聞いたそれとは全く別物で、とても切なく寂しい音だった。

そしてそれに続いて聞こえてくる警笛やレールの音も、周りの建物に響きながら、夜の静けさの奥深くしみこんでいくようだった。


かたんことん・かたんことん・ばわんばわん・ばわんばわん・ざわんざわん・ざわんざわん・・・・・
「帰るぞ・帰るぞ・帰るぞ・・・・・」

ふぁ〜〜〜ん〜・・・・・
「けい〜〜〜・・・・・」

夜の静寂に小さく遠ざかっていく警笛の音が、僕を呼ぶお袋の声に聞こえた。


寂しさの頂点に達していた僕には、まるでお袋が呼んでいるようにさえ聞こえた。

トシミチ君の布団に潜り込んで「中村へ帰る〜! 速う中村へ連れて帰って〜〜!!」と泣き叫んだ。

「明日になったらお母ちゃんに電話しちゃおき、今晩はおりこで寝えや!!」

僕が泣き疲れて眠るまで、トシミチ君は毎晩添い寝してくれたらしい。

トシミチ君(いや田所先輩)、本当にお世話をかけました。


だんだん両親を支えなければいけないことが多くなってきた今、僕はこれを書きながら涙が止まらない。

一生光を見ることがないという境遇で生まれた僕を、ほんとにいろんな思いで必死に育ててくれた両親!!

やがて迎える人生の最期を、心からのありがとうで見送れることを、今は節に祈る。


★ 回想 円行寺口駅にて ★


幼かった僕の耳に響いた
風に乗って流れてくる汽車の汽笛に
今頃父は何をしてるのだろうか
母は泣いてないだろうか
振り返ってみればあの頃の僕は
汽車の音を聞く度に涙を零した
ふる里を離れている寂しさに
まどろみもできない夜もあった

あれから何年経ったのだろう
時々帰るふる里の懐かしい部屋で
痩せて細った父の足をさすりながら
時の流れに思いを馳せる

レールの響きに言葉を重ねて
ふる里への思いを涙で流して
今思い出を拾いにこの駅に来て
下りの列車をまた見送った

宿毛行きの列車を・・・・・
また見送った


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